私が一カ月半の入院ののちに、わが家に帰ったときのことである。子どもたちゃ、祖父母が賑やかに迎えてくれた。大人たちはお互いに「よかった、よかった」「大変だつたでしよう」などと言葉をかわし合い、子どもたちはその間をとびはねたり、うろうろしたりしていた。
病院では自分一人の単純さだつたのが、急に子どもたち一人一人に応え、大人とも話さなければならない。興奮と疲れで横になって休まなければならなかつた。
すると台所の方から、 一番下のY子に離乳食を食べさせましようと話す声が聞えてきた。その声を聞くと、私はまた起き上がって出ていつた。私の入院中に無事に離乳は進められていたが、どんなだろうか、私にやらせてほしいと思ったのである。
しかし私が差し出すスプーンを、この子は横を向いて受けようとはしない。別のものが食べたいのかしらと思って、また差し出してみるが、手でぱっと払いのけてしまう。
おばあちゃんが「やり方が気に入らないんじゃないかしら」といってスプーンを取って差し出すと、すぐに食べる。驚くほどの食欲で食べる。仕方なしに私は離乳食を食べさせてもらっているこの子のそばに腰をおろしてじっと見ていた。
病院にいるとき、私は一番小さいY子のことが、心にかかっていた。体の不調や忙しさで、ゆっくりとつき合うことができないまま入院してしまった。こんど家に帰ったらゆっくりと心をこめてつき合いたいと願っていた。
だから食事をあげに出ていったのであるが、私の手を払いのけて拒否する。
思ってもみなかった反応に、私は戸惑い、内心傷ついた。
私のやり方が気に入らないなんて……。
いやほんとうに私のやり方が気に入らないのだろうか。スプーンの出し方とか速度とかのせいじゃないような気がする。
こんな形で、母親に何かを訴えているのではないだろうか。
なぜ、母親が長い間、留守にしていたのか、この子には分らない。
帰ってきた日に家の中は賑やかに湧いているが、この子が母親に抱かれている間には、他の人が話しかけて落ちつかない。
待つて、待つていたのに、母親をただちに受け入れることはできないで、母親の差し出すスプーンを払いのけたのではないだろうか。
母親が出かけて家に帰ってきたとき、子どもは喜んでとびついてくる。しかし、いっもそうとは限らないことに気づく。
このときのように、待つていたからこそ拒否するときもある。
待っていたからこそ素直にとびつけないで、母親を無視するのであろう。
母親がいなくても平気になつたとか、母親がきらいになつたとか考えるのは、間違いである。
幼いながらも自分を保ちながら、待っていたその心を汲んで、静かなひとときのいたわりをかけてあげたい。
子どもが、とびついてくるのも、拒否したり無視したりするのも、同じ心からと思う。
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