創世記24章7節
主はみ使いをあなたの前に使わされるであろう。

 年老いたアブラハムは、僕を呼び、息子イサクの妻をめとる事について二つの条件を示した。一つはイサクの妻はカナン人からめとってはならないこと。二つは、イサクの妻は、私の国に行き、親族のところ行って、そこからめとらなければならないこと。
 私の国とはアラム.ナハライムであり、そこはカナンの地はるか北にあるところであり、またカナンのようなやせた不毛の地ではなく、豊穣の地であった。メソポタミア文化として後世までその名を残したけんらんたる文化のみやこであった。
 従ってアブラハムの僕はこれを聞いた時、すぐには「はい」と承知することができなかった。そして、「もしその女が私について来ることを好まないときは、私はあなたの子をあなたの出身地に連れ帰るべきでしょうか。」と尋ねた。
 最もなことである。誰が田舎の貧しいところに好んで来る娘があろうか。その時、アブラハムは答えて、「私の子をけして向こうへ連れ帰ってはならない。。天の神、主は、父の家、親族の土地から導きだして私に語り、私に誓って、お前の子孫にこの地を与えると言われた。主は、み使いをあなたの前に使わされれるであろう」と・・。
 アブラハムにとって「主が、み使いをあなたの前に使わされるであろう」ということだけが頼りであった。 このことこそ彼の立ち位置であったのである。